好きの反対は嫌いじゃないよ、無関心だよ
これはよく言われますが、「好き」を「良い会話」に置き換えると
「無関心」は、会話の無い状態、つまり「会話の途絶」となりそうです。
では、「嫌い」にあたるのは?
マイナスの会話、負の会話、悪い会話なので「悪口」という言い方もできそうです。
あまり褒められるものではありませんが「悪口」は蜜の味。
人が集まれば「悪口」が始まってもおかしくない。
人とはそういうのものなのです(笑
「文豪たちの悪口本」という、なんだか禍々しいタイトルの本があったので、
読んでみました。
昭和の文豪といえば、いまなお読まれる純文学のすばらしさの一方で、
その破天荒な性格や生活、人間関係の複雑さでも有名です。
当然、誰が誰と親交しているとか、誰が誰を嫌っているとか、絶交したとか、
いろいろあるわけで、悪口も飛び交うわけです。
この本は、そんな文豪たちの悪口が紹介されているのですが、
さすが!といいたくなる美しい、ウイットに富んだ表現もあれば、
そんな子供じみたこというの?ってほど俗っぽい表現、
「刺す」「殺す」のような暴力的なものまで、
いろいろな悪口が紹介されています。
私が一番、びっくりして、笑い出してしまった悪口は、
「青鯖」と「なめくじ」
『斜陽』『人間失格』など、あまりにも有名で説明の必要がない太宰治と、
これまた、『汚れつちまつた悲しみに…』など、詩壇で高い評価を得ていた中原中也のエピソード。
中也はおでん屋で鉢合わせした、それも初対面の太宰に向かって
何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。
と言い放ったとか。これに対して太宰は委縮してしまい、
その日はろくに話ができなったと言われています(だめじゃん...)。
その後、太宰は太宰で、中也のことを
なめくじみたいにてらてらした奴で、とてもつきあえた代物ではない
とくさしています。実は、太宰は中也を尊敬していたというし、
「生きづらさ」「孤独」「憂鬱」といったテーマ性も近いし、
本当は仲良くなってもおかしくないのですけどね。
にしても、あの太宰治や中原中也が、よりにもよってこんな悪口を言ってるとは。
ここだけ切り取ってみるとやっぱり、びっくりで、笑えます。
はい。
今日は、良いコミュニケーションを考えるにあたって、
正反対の悪いコミュニケーション「悪口」について、ちょっとだけ脱線してみました。
「悪口」は決しておすすめしませんが、
こうやって後世にまで伝わって、その人となりを伝えてくれるような「名悪口」だったらいいのかな、
なんて思いました。